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小学生になったばかりの頃、今の地に越してきた。
私の記憶では、当時うち(酒屋)を含め3軒しか店が無かった。
店の脇をチョコレート色(ビターかな?)の電車が走っている。立川から川崎までを走る南武線だ。
車内の床は木で出来ていて(歳がばれそう) 南武線はとても味のある電車だった。
その昔、今では世界に名を知られる映画監督でもあるビートたけしさんが、東京一汚くて臭い電車と漫才のネタにしてたことがあったっけ。
子供の私にはチョコレート色に見えたのに、たけしさんは…
駅舎やホームの椅子ももちろん木造で、椅子の背板の上にはガラス窓があった。
よく二人の兄といとこ達とで、南武線に乗り映画を見に行ったのを覚えている。
駅前は、私や兄たちの恰好の遊び場だった。道もまだ舗装などされておらず、雪が積もった時などは道と駅との短い斜面を利用して、ぺっちゃんこにした段ボールで滑り落ちるのが楽しみだった。
それを何度も何度も繰り返す。
兄たちは、よく店の前でキャッチボールをしていた。
そう、その日もキャッチボールをして遊んでいた。 仲間に入れてもらえない私は、ふくれっ面をしながらもそれを眺めていた。
次兄が勢いよく投げたボールは、、長兄の頭上高く通り越しホームの窓ガラスの中へと消えた。
ガッシャーン、物凄い音を立て窓ガラスは砕け散った
「あ~っ」誰かが大声で叫んだ。皆ただただ呆然として、誰一人その場から身動き出来かったように思う。
子供ながらに、皆心臓がバクバクしていたに違いない。
身動きしない兄達を横目に「お父さん呼んでくる」と、私は大慌てで店へと駆け込んだ。
ホームの椅子に…窓ガラスの下に、電車を待つ人がいなかったことが、本当に本当に救いだった。
兄らは、両親に付き添われ駅にお詫びに行き、ガラス代を弁償して済んだらしいが…
その時ばかりは、神妙な面持ちで叱られている兄達だった。
それを傍らで見ていた私は「私をキャッチボールの仲間に入れなかった罰だ」と、ほくそ笑んでいたに違いない
今思い出しても、もしあの時誰かが椅子に腰掛けてたら…と、想像するだけで背筋がぞっとしてしまう。
その後南武線は様変わりし、大好きだったチョコレート色から、黄色、そして今では銀色に黄色とオレンジ、こげ茶のラインの入った、最新型?の車体になった。10~13分に一本と本数も多くなった。
そんなに馬鹿にしたもんじゃない。
きっとこれから先も、ずーっとお世話になり続けるであろう南武線。
どうか、事故の無いよう走り続けて欲しいと願わずにはいられない。
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